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佐賀地方裁判所 昭和53年(ワ)129号 判決

原告

岩橋富士子

原告

岩橋正

原告

岩橋隆司

(昭和三五年一月六日生)

右法定代理人親権者母

岩橋富士子

右原告ら訴訟代理人

元村和安

被告

梅野直弘

右訴訟代理人

安永沢太

安永宏

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  請求の趣旨

一  被告は原告三名に対し、それぞれ一三〇〇万円宛及びこれに対する昭和五一年二月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  右の一につき仮執行宣言。

第二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第三  請求原因

一  当事者

(一)  原告ら

岩橋輝雄(以下「輝雄」という。)の妻が原告岩橋富士子(以下「原告富士子」という。)、両名の子が原告岩橋正(以下「原告正」という。)及び原告岩橋隆司(以下「原告隆司」という。)である。

(二)  被告

被告は医師である。

二  診療契約

輝雄は昭和五一年二月二四日朝から風邪様の症状だつたので、被告に往診による診察・治療を申込んだところ、被告はこれを承諾した。

三  診療と輝雄の死亡

(一)  往診

被告は右同日一〇時半頃(時間は通し時間である。以下同じ。)往診し、注射をし、被告医院に飲薬を取りにくるよう指示した。

(二)  輝雄の容態の急変

原告富士子は被告医院に出かけて飲薬をもらいうけ、これを輝雄に飲ませた後の一一時頃、輝雄の顔に紫色の斑点が出ているのを発見し、被告にその旨連絡したところ、被告から粉薬の服用中止を申されたので、しばらく輝雄の容態を観察していたが、口唇の色が変つたのを見て、被告にその旨連絡し、至急再度の往診を被告に請うたが、被告はなかなか来ず、やつと一五時頃往診したものの、輝雄の様子をみておろおろするばかりであつた。

(三)  輝雄の死と死因

そして、輝雄は翌二五日一時一五分頃死亡したが、その死因は肺炎とその病原菌による毒素のためであつた。

四  責任原因

被告は輝雄の症状を、肺炎であるのに感冒と誤診し、肺炎に対する適切な処置をとらなかつた過失があり、仮にそうでないとしても、被告には医師としての善管注意義務に欠ける過失があつた。

五  損害

(一)  輝雄の逸失利益 二六五九万二八四〇円〈中略〉

(二)  葬祭費 五〇万円

(三)  慰籍料 一三〇〇万円

(四)  弁護士費用 二〇〇万円

(五)  まとめ

右(一)ないし(四)を合計すると四二〇九万二八四〇円となるので、原告らの相続し、もしくは被つた損害はその三分の一である一四〇三万〇九四六円宛である。

六  結論

よつて、原告らは被告に対し、債務不履行もしくは不法行為に基づく損害賠償として、前記五の(五)の損害の内金としてのそれぞれ一三〇〇万円宛及びこれに対する輝雄死亡日である昭和五一年二月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四  請求原因に対する認否及び主張

一  請求原因一及び二は認める。

二(一)  同三の(一)は認める。但し、被告が往診した時刻は九時半頃である。

(二)  同(二)は争う。この点に関する被告の主張は後記六のとおりである。

(三)  同(三)のうち、輝雄死亡とその日時は認めるが、その余は争う。久留米大学第一内科(以下「久大」という。)の推定では、輝雄の直接死因は、敗血症による播種性血管内凝固症候群(DICと略称される。これについては七で後述する。)とされているが、輝雄には潜在的に数年来の恒常的な慢性腎不全があつて、かねて慢性的な免疫不全状態にあつたところ、インフルエンザに罹患したのち電撃的に肺炎に進展して、そのビールスの毒素により循環ショックに陥り、DICないしは敗血症(又はその競合)を惹起し、更に免疫不全状態を増悪させて不可逆的転帰をたどつたものである。

四  同四は否認する。この点に関する被告の主張は後記七のとおりである。

五  同五は不知。

六  被告の診断と処置

(一)  第一回往診時

被告は昭和五一年二月二四日九時半頃、往診により輝雄を診察したが、肺炎様の所見は見られなかつたので、感冒ではないかと判断し、注射をした後、投薬を指示した。

(二)  第二回往診時

同日一五時頃、輝雄が服薬後しばらくして薬を吐出し、熱も下がらず、顔に小さな斑点が現れ、意識がない旨の連絡をうけた被告は直ちに往診したところ、輝雄がショック状態にあると判断し、速やかに脱ショック療法と酸素吸入を行ない、救急車で久大に輝雄を搬送した。

(三)  久大での処置と輝雄の死

久大の医師らの治療にも拘らず、輝雄は翌二五日一時一五分死亡した。直接死因は敗血症による播種性血管内凝固症候群と推定されている。

七  播種性血管内凝固症候群(Dis-seminated Intravascular Coagulation以下「DIC」という。)とその原因及び被告の無過失について

(一)  DICの概念と確診

DICでは、種々の基礎疾患に伴つて、色々な原因により微小血栓が全身の微小血管内に多発する結果血液凝固因子が消費され、出血傾向を生ずるとともに、微小血栓による各種臓器の虚血性変化による症状が発現するもので、その確診には各種精密検査を経ることが必要であるから、設備の整つた大学病院等でのみ、よくなしうるものである。

(二)  基礎疾患としての敗血症

久大では輝雄のDICの基礎疾病を敗血症としているが、敗血症は細菌が体内に侵入して病巣を形成し増殖するまで日時を要し、しかも細菌を培養してみないことにはその原因が判明しない。これを開業医にすぎない被告の往診による診察で判断することは不可能を強いるものである。

(三)  敗血症の遠因は何か

久大では輝雄の敗血症の遠因を肺炎ではないかと疑つているが、輝雄の遺体の病理解剖が原告らにおいて拒絶された結果、遠因の確定は困難になつている。

(四)  第一回往診時の診断と処置に過失はない

1 被告は第一回往診時において、輝雄の胸部の聴診を含む診察の結果、肺炎を疑わせる所見が何ら見られなかつたので、感冒と診断した。

2 しかしながら、肺炎の場合にも適応するよう配慮して調剤をしているのであるから、仮に第一回往診時の被告の診断に誤りが存したとしても、適切な治療をしていることに変りない。

(五)  第二回往診時の処置に過失はない

この時輝雄はショック状態に陥つていたが、これは被告が服用を指示した薬に起因するものではなく、その原因は不明である。被告は第二回往診時速やかにショック症状に対する対症療法をとる一方、自ら救急車に同乗して、輝雄を久大に搬送したのである。

(六)  まとめ

以上の次第であるから、いずれの観点からみても被告の診断及び治療に過失はない。

第五  証拠〈省略〉

理由

一請求原因一及び二は当事者間に争いがない。

二輝雄の生前の状況

〈証拠〉によれば、昭和七年一一月七日生れの輝雄は、普段元気で病気らしい病気もしたことはなく、昭和四一年頃から左官を業としており、昭和五一年二月二三日も通常と変りない一日を過していたことが認められ〈る。〉

三輝雄の罹患と被告の診療

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ〈る。〉

(一)  輝雄の昭和五一年二月二四日朝の症状

輝雄は同日朝になつて風邪気味だつたので、左官としての当日予定の仕事の段取りを電話で弟子に指示するように妻の原告富士子に言い、輝雄の容態を心配した同原告が自動車に乗せて病院へ連れて行こうと申したところ、輝雄は病院まで行きたくないので、医師に往診してもらえるよう依頼してもらえないか、と希望した。

(二)  被告の第一回往診

原告富士子は、同原告らのかかりつけの医院である被告経営の医院(標榜診療科目は内科、小児科)宛電話で往診の依頼をしたところ、被告はこれを承諾し、同日九時半頃輝雄宅に赴き、輝雄の診察に当つた。被告は輝雄に問診を試みたが、要領を得ないので、同原告から輝雄の症状を聞いたり、輝雄の打診・聴診等をしたが、それによると、朝から寒けがあり、頭・腰・下腿に痛みがあり、咳もある、熱は38.5度、脈拍は幾分早いが、規則正しい、胸部・腹部に殆ど変化はない、意識に幾分混濁がある疑いがある、胸背部の打聴診の結果では、ラッセル音(胸部異常音)その他の異常所見が見当らなかつた等のことから、単なる風邪(感冒)ではないかとの一応の診断を下し、持参していた鎮痛解熱剤ザルプロ二〇mlを静脈に注射し、内服薬をあげるから被告医院にとりにくるよう同原告に指示して、被告は輝雄宅を退去した。

(三)  被告の投薬内容

被告は医院に帰つて、解熱鎮痛剤であるフェナセチン及びアミノピリン、鎮咳剤であるアスベリン散、健胃剤であるS・M散を一緒に調剤して袋に入れた粉薬と、肺炎予防の観点から、抗生物質であるジョサマイシン(カプセル入り)とを、薬を取りにきた原告富士子に渡し、服薬を指示した。

(四)  輝雄の容態の急変

輝雄は内服薬を一〇時頃服用後間もなく一二時頃それらを吐出し、一四時頃には額に小さな斑点が現れたので、心配した原告富士子は被告医院宛その旨連絡し、指示を請うたところ、被告はピリン系の薬による薬疹かもしれないと疑い、粉薬は飲ませずに、カプセル入りの薬のみの服用を指示したのであるが、その後輝雄の意識が不明瞭になつたので、驚いた右原告は電話でその旨被告宛連絡し、これを受けた被告は、すぐ輝雄宅に赴いた。

(五)  被告の第二回往診

被告は一五時頃輝雄宅で輝雄を診たが、輝雄の顔面にはチアノーゼが現れて、意識はなく、全身に大小不同の出血斑があり、一見して重篤な症状であつた。脈拍は一分間八九と早かつたものの規則正しくて充実しており、血圧は最高一二〇、最低八〇と正常値であつたので、被告は輝雄の脳内の出血を疑い、次にショック状態に陥ることを予想し、強心剤・呼吸促進剤であるビタカンファを皮内注射し、副腎皮質ホルモンであるケナコルトを筋肉注射し、抗アレルギー剤である強力ミノファーゲンCを静脈注射し、酸素吸入を実施しながら、五%ブドウ糖と副腎皮質ホルモンのサクシゾンの点滴注射等の処置を続けた。

(六)  輝雄の久大への搬送

被告は輝雄の症状が重篤であつたので、右処置をとつたあと、大病院である久大に搬送することとし、原告富士子の了解を得て、自ら久大に連絡をとり、救急車を手配し、同乗の上、久大に同伴した。

四輝雄の死と推定死因

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ〈る。〉

(一)  搬入時の輝雄の容態

輝雄は同日(昭和五一年二月二四日)一八時五〇分救急車で久大に到着して入院したが、その時の輝雄の所見は、口唇にチアノーゼが出、全身に点状・拇指頭大・こぶし大等の様々な出血斑が混在し、脈拍は弱くて測定不能、血圧も測定不能、両肺にラッセル音が聴取される、意識のレベルは昏睡状態、瞳孔は中等度散大、対光反射は遅延している等が主なものであつたが、全体的にみてショック状態と全身の出血傾向が大きな所見であり、危篤状態にあつた。

(二)  久大での処置の概略と輝雄の死

久大では輝雄の症状から、その病名をDIC(DICとは、種々の基礎疾患に伴つて、色々な原因により微小血栓が全身の細小血管内に多発する結果、血小板、各種凝固因子が消費され、出血傾向を生ずるとともに、微小血栓による各種臓器の虚血性変化による重篤な症状を呈する一連の症候群をいう。)と考え、久大の内科医師十数名が外科医師の協力を得て輝雄の脱ショックとDICの治療に従事し、同日二二時過ぎ頃には輝雄の出血斑も一時消退したものの、ひき続く治療の甲斐もなく、翌二五日一時二五分輝雄は死亡した。

(三)  輝雄の推定死因

久大の内科医師らは輝雄の直接死因をDIC、そのDICの原因に肺炎があると推定した。

五被告の過失の有無について……その一

判旨(一) 原告らの第一の主張

原告らは第一に、輝雄は第一回往診時において、既に肺炎に罹患していたのに、被告はそれを感冒と誤診し、肺炎に対する適切な処置をとらなかつた点に被告の過失があると主張するので、この点について検討する。

(二) 第一回往診時に輝雄は肺炎に罹患していたか

前記四の(一)ないし(三)に認定の事実によれば、輝雄は被告の第一回往診時(昭和五一年二月二四日九時半頃)に既に肺炎に罹患していたのではないか、との推認も成り立たないでもない。しかしながら、証人平井連の証言によれば、肺炎の診断は胸部聴診によるラッセル音の聴取によつて可能であり、その聴取は医学生でも間違わない程容易であること、午前中には肺炎の症状がでていなくても、午後になつて急激に肺炎の症状が表われてくる例もよくあることが認められるところ、被告本人尋問の結果によれば、被告は昭和一七年九州医学専門学校を卒業して以降、医師として仕事を続けて今日に至つていることが認められ、これらに前記三の(二)認定の事実を併せ斟酌すると、右推認とは逆に第一回往診時には輝雄は未だ肺炎に罹患していなかつたとの推認も十分可能であり、この蓋然性が高いということができる。

そして、当時輝雄が肺炎に罹患していなかつたとすれば、肺炎を診断し得なかつたことを前提とする原告らの主張の第一点はその論拠を失うことに帰すること明らかである。

従つて、次に、より低い蓋然性ではあるが、当時輝雄が肺炎に罹患していたとして、これを診断し得なかつた点に被告の過失があるか否かを考える。

(三) 往診時の被告の注意義務違反の有無

往診において医師が患者の病名を診断するには、通常、視診・問診・触診・打診・聴診等によつており、これに格別問題はないと解されるところ、〈証拠〉によれば、肺炎には色んな種類があるものの、その確定診断にはレントゲン写真撮影が不可欠と認められるから、第一回往診時において、仮に輝雄が肺炎に罹患していたとしても、往診した被告が前記三の(二)認定の経緯により輝雄の症状を単なる感冒と診断したことには過失がなかつたと認められる。

(四) 一応のまとめ

以上のようにみてくると、第一回往診時において、既に輝雄が肺炎に罹患していたとしても、被告は往診時の医師の注意義務を履行しているものと認められるから、結局原告らの第一の主張は失当といわざるを得ない。

判旨六被告の過失の有無について……その二

(一)  原告らの第二の主張

原告らは第二に、被告には医師としての善管注意義務に欠ける過失があつた旨主張するので、この点について検討する。

(二)  過失の内容の特定・具体化について

原告らは、本件訴訟において、不法行為又は債務不履行を理由に損害賠償を請求しているのであるが、不法行為の場合には、過失の内容が特定・具体化されていない以上、被告の防禦権の行使も不可能もしくは事実上すこぶる困難となるから最終口頭弁論期日に於ても尚原告らの第二の主張程度に止まるときは抽象的にすぎ、特段の事情がない限り、過失の主張としては当を得ていないきらいがある。この理は、いわゆる医療過誤訴訟を債務不履行を理由に損害賠償を請求してくる場合も同様と考えられる(最高裁第二小法廷昭和五六年二月一六日民集三五巻一号五六頁参照のこと。)。

尤も、債務不履行を理由とするときは、原告らの第二の主張程度でも足りるとの解釈の余地もありうるし、また原告らの主張を善解すれば、被告は二回にわたる往診を速やかに実施しなかつたこと、被告の調剤による薬疹がでたこと、第二回往診時の救命処置に適切さを欠いていたこと等の過失があり、これらの一つもしくはこれらが複合して輝雄の死を招いたとの主張にも読めるので、この見地に立つて以下被告の過失の有無を考える。(勿論、漠とした内容の過失の主張がなされているときは、被告の立証すべき事項も、一般的な医師としての注意義務を尽くしたことで足りると解すべきことは、被告の防禦権の観点から自明のことであろう。)

(三)  被告の善管注意義務の履行の有無

被告の第一回往診前後の時期から、輝雄を久大に搬入するまでの約九時間、被告が診療契約の一方当事者たる医師としてとつた処置は前記三に認定した通りであり、証人平井連の証言及び被告本人尋問の結果によれば、右処置は一般開業の内科、小児科医が往診医としてとつた適切なものと認められるところ、格別これに反する証拠はないから、被告は善管注意義務を履行したものと解される。

(四)  一応のまとめ

以上の次第であるから、結局原告らの第二の主張もまた失当といわざるをえない。

七結論

以上のとおり、輝雄の死に関して、被告には過失がなかつたことが認められるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本件請求は理由がなく、失当として棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(田中貞和 簑田孝行 原敏雄)

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